DWE(ディズニーの英語システム)~サラリーマンパパの子育て日記~

サラリーマンパパが娘とディズニーの英語システムに取り組む日々で、感じたこと、印象に残ったことを記録していきます。

災い転じて福にしちゃえ!

今週のお題「体調管理」

 

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最後に記事を書いてから4ヶ月、ずいぶん時が経ったなー。床暖房にエアコンを最強にしてもまだ寒い今から考えると、窓を全開にしてTシャツ1枚でブログを書いていたあの頃が嘘のよう。

 

うつ。

自分には縁のないものだと思っていた。

気持ちが塞いで「うつっぽく」なることはあったとしても、B型乙女座の自分が本当の「うつ」になることはないと思っていた。まあ、病院にかかったり治療を受けたわけではないので診断書はないのだが・・・。

 

最後の記事を書いている時も結構おかしかったのだが、気晴らしにとどうにか文章を書いていた。しかし精神状態がいよいよ悪化して、「さすがにこれはおかしい」となる。まず寝られない、食べられない、そして胸のドキドキが止まらない。

以前書いたように過去、致命的な病気にかかった可能性があった時にも寝られない時期があった。しかし今回はその時とは全く様相が異なる。一度は寝付くんだけど30分もせずに目が覚めてしまう。そして目が覚めたら最後、もう二度と眠れない。眠いはずなのに眠くない。

食事に関しては、食欲がないこと自体自覚がなかった。気付くと「そういえば24時間何も食べてないなー」という感じ。当然のようにあっという間に痩せてしまった。

しかしこれでもよもや自分が鬱だとは気づいていない。

徐々に周りがみんな敵に見えるようになり、自分が孤立している感覚を持つようになる。そしてある日、通勤途中の車の中で、猛烈に「仕事に行きたくない!」という感情が芽生えた。アクセルを踏む足が文字通りすくんでしまったのだ。この時になって初めて、自分に今までにない異常が起きていることを自覚した。これってもしかして「うつ」なんでは・・・。

時を同じくして、残業が140時間近くになってた際に受けた産業医との面談結果が上司に返ってくる。「うつ」の危険性大とのこと。上司も初めは「お前にかぎって嘘だろう(笑)」みたいな反応だったが、意を決して心の内を吐き出したところ、大層驚かれた。

ここから先はお約束。

そんなに辛いなら君にはこの仕事が向いていないのかも、部署を異動させようか・・・と人事の話。しかし代わりの人材がいないので異動どころか休みも取れない。

そう、結局自分の身は自分で守るしかないのだ!産業医の面談でバカ正直に答えてしまったり、上司に心の内を吐露しても碌なことがない。彼らは弱っている私ではなく、組織を守ることに意識が向くのである。

幸い、うつになって休職した経験のある友人が様々なアドバイスをくれた。まず睡眠薬抗不安薬を少し分けてくれたのだが、これが助かった。服用したのは4-5日であったが、リズムを取り戻すことができた。

食欲はないままであったが、せっかく痩せたのだからいい機会とスポーツクラブに入会し、ジムに通うようになった。

趣味を持たなきゃ!ボイストレーニングに通うようになった。

痩せたことだし、見た目を変えよう!それまでは10年以上同じ服を着続けていた私であったが、新たに服を買うようになった。「変わりたい!」という意思を見事に汲み取ってくれた店員さんとの出会いもあり、服装もかなりオシャレになってしまった。

年に3-4回だった1080円の床屋をやめて、その何倍もの料金がかかる美容室に月に1回通うようになった。

急に痩せてオシャレになったものだから、何も知らない後輩からは「若い彼女ができたに違いない」と陰口を叩かれていたようだが、こっちはそれどころでない。しかも物の本に書いてある通り「うつ」からの回復には波があり、平坦な道のりではなかった。

寝られるようになり、同僚とも話ができるようになったので、大分良くなったかな?と思っていても、前触れもなく急に胸のドキドキ(動悸ではない)が始まり、なんだか精神的に追い詰められるのである。仕事に影響が出てしまうことを最も危惧していたが、幸い大過なく乗り切ることができたようだ。普段はしないような細々したポカはやらかしていたが・・・、まあ休むこともなくこなしてきたのだから良しとしよう。

最初は一進一退といった感じであったが、徐々に3歩進んで2歩下がるとなり、ついには下がることがなくなってきた。いつかまた波が来るのではと若干の心配はあるが、そろそろ開始線より前に進むところまできたかな。

 この4ヶ月間そんな調子であったので、娘との朝のお勉強はぱったりできなくなっていた。妻や娘にしてみたら当初は何が起きているのか訳がわからなかったと思う。

この出来事、家族の中で最初に話せたのは義母であった。同業ということもあったのだろうが、家族には話しづらいの自分の弱さ、しかも進行形の話を、なぜか素直に話すことができた。その場にいた妻は話を聞いてびっくりしていた。ここまで深刻なこととは考えていなかった様子。

自分を認めてほしいとの思いが強く、またそれこそいもしない若い彼女の存在を疑われても困るので、妻にはこのブログの存在を明かし読んでもらった。

 

結局うつになって得たものがたくさんある。

  • 家族の愛情。心配してもらい、いろいろ気遣ってもらった。
  • ジム通いが始まって取り戻した健康。体型が全く変わってしまいスリムになってしまった。20年来異常だったγ-GTPも正常化して驚いている。
  • 家族でカラオケ!私のボイストレーニングに付き合ってもらい、娘もカラオケデビューしてしまった。
  • おしゃれ。見た目がかなり若返った。あとは増毛だけか・・・。
  • 自分の時間を確保するようになった。これは最も大切かもしれない。同様に妻の時間も確保してあげないといけない!

災い転じて福としちゃった感がある。我ながらさすがはB型乙女座。

しかし、得たものはたくさんあるようだけどこれは結果論。運が良かっただけ。

こうなる前にもう少し早く手を打つべきだったと反省している。

体調管理、精神面にも注意を払わなきゃいけないな。 

仲良くご飯食べてる?

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今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

今回は母方の祖父、祖母についてのお話。

私たち兄弟が祖父の仕事に少し関わっていたこともあり、子供の頃から祖父母と会う機会は多かった。この時から感じていた違和感、それは祖母が当主であるということであった。家の中ではいつでも祖母が中心、食事は祖母の一言で始まるし、祖父に対する発言もちょっと威圧的。リビングのテレビのチャンネル権もおばあちゃんが持っているため、大の巨人ファンであったおじいちゃんは、食事もそこそこに自室にこもり、一人テレビを見たりラジオを聞いたりしていた。家には祖父の仕事の都合で舞台があったが、座敷、舞台、祖父の部屋が”おじいちゃんの空間”、廊下を挟んでキッチン、ダイニング、リビング、祖母の部屋が”おばあちゃんの空間”、まるで家庭内別居である。おじいちゃんと話している所におばあちゃんは入ってこないし、おばあちゃんと話しているとおじいちゃんは”ふいっ”といなくなる。典型的な亭主関白であった父の下、しかし団欒のある我が家で育った私にとっては、非常に違和感のある家庭であった。この二人は仲が悪いのか??

祖母は古い城下町の出身、幼くして両親を亡くし複雑な家庭環境で育ったそうだ。孫の私から見ても少々ぶっ飛んだおばあちゃんであり、若くして家督を継承し”蝶よ花よ”と育てられた影響かと勝手に考えていたが、実は若い頃には大変な苦労をしてきたらしい。祖父母が健在な間はまだ良かったようだが、二人が他界してからが大変だったようで、おばあちゃんの昔話ではこの時期の話がほとんど出てこなかった。後からこの時期のことを他の親戚から聞いたのだが、きっとおばあちゃんにとっては辛い記憶なんだろうと思っている。

祖父は伝統芸能を生業とし、本来家督の相続が欠くべからざるものであったはずだが、祖母と見合いをし養子に入ることを即決、快諾したそうだ。「なんで結婚することにしたの?養子に入ることに抵抗はなかったの?」と何度か聞いたことがあるが、答えは「かわいそうだったんだよ」というものだった。子供だった私たちには「?」である。ちなみに祖母の家はこの伝統芸能と一切関わりがない。

孫には優しかったおじいちゃんではあるが、お稽古の時は厳しかった。幼稚園、小学校低学年の頃は何でも褒めてもらえていたが、高学年になってくると容赦がなくなってくる。特に姿勢。これは毎日注意されていたら身につくんだろうが、時々の稽古で矯正されてもなかなか・・。その姿勢の意味、足運びの意味をきちんと教えてくれたので、理屈っぽい私には腑に落ちることが多かったのだが、”人からどう見えているのか”というのがまるでわからなかった。腰が高い、膝が硬い、腕が下がっている、顎を引け、肘が・・・。今ならビデオを見てチェックできるんだろうけど、当時はいちいち指摘されては直していた。書いてて懐かしくなってくる。お稽古以外では・・、舞台や座敷で野球をすると怒られたし、枯山水の庭で大事に手入れされていた苔を、そうとは知らずに焚き火の火消しに掘り返した時も怒られたな・・・。

孫の中でも私は特に祖父に気に入られ、叔父が跡を継がなかったこともあり、子方を長く勤めるにつれ”跡継ぎ候補”として周囲、そして宗家にも認識されるようになった。プロとしてやっていける直前まで一通りを教えてくれたが(もちろんプロはもっともっと厳しい世界であるが)、結局父の仕事に興味を持っていた私は”その道”を外れることとなった。社会に出て多くを学ぶにつれ、当時祖父から格別なことをしてもらっていたことに気付き、改めて感謝することが多い。今になって思い返せば、稽古の合間や食事の時に、人生訓のようなものをさらりと話してくれていた。せめて大学生の頃に聞いていた話ぐらいはしっかり覚えておけばよかったのに、精神的に幼かった私は言葉の重みに気づいていなかった。今、お酒でも酌み交わしながら聞いてもらいたい話、相談したいことがたくさんあるのにな・・。もっと話を聞いておけばよかった。

さてそんな祖父母であるが、学生時代近所に住むことになった私は、二人の本当の姿を知ることとなった。この二人、本当は仲が良かった。祖父は仕事が忙しく月の半分は家を空けていたのだが、家にいる時は祖母と一緒のテーブルで食事をし、きちんと団欒をしていたのだ。二人で話すとこをほとんど見たことがなかったので、最初は非常に驚いた。私を騙すために二人で芝居をしているのかと本気で疑った。しかし・・、本当に仲が良かったのだ。おじいちゃんが仕事の話をし、おばあちゃんがねぎらいの言葉をかける。おばあちゃん、ツンデレ!最初はただ驚いていたが、しょっちゅう一緒にいる間に、それが二人の自然な姿であることがわかってきた。二人が同時に違う話を私に話しかけてくるのには閉口したが、微笑ましい姿を見て、この二人の孫で良かったと心が温かくなる幸せな時間を過ごすことができた。

長い学生生活の後半、二人はほぼ同時に認知症を患う。周りが全く疑っていない中、おそらく最も身近に二人を見ていた私は真っ先にその異常に気付いた。在宅介護、入院、施設への入所と、二人は徐々に離れていき、一緒に食事をすることはなくなった。

「かわいそうだったんだよ」と言ったおじいちゃんの言葉、多分これは「好きなんだよ」という意味。明治生まれの男の愛情表現だったんだろう。二人の仲睦まじい姿を見てきた私は知っている。 

こないだお墓まいりに行ったとき聞き忘れてた。仲良くご飯食べてる?

今週の振り返り。オーディオCAP Review 8はパスしたが・・・。

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今週はまったく朝のお勉強をしていない。娘が起きれなかったのだ。

おそらく運動会の練習が佳境を迎えたためと思われる。妻によると夕方、保育園から帰ってきた時点ですでに疲れており、夕食後お風呂に入る時にはグズグズで毎日とても大変だったとのこと。”朝お風呂に入ろうよ”と言っても、愚図っているため言うことを聞かず「入る!」の一点張り。意地っ張りの我が娘は一度言い出したら聞かない。でも眠いのでグダグタになり、お風呂では泣き叫び最後はぐったりと風呂場から出てくる。その後は歯を磨きながら「ノンタン見る!」「しまじろう見る!」と駄々をこね、布団に入ってからも「絵本を読んで」とひとしきりぐずるので、どう頑張っても就寝時間はズルズルと遅くなる。それでも妻は頑張って9時前には寝かせているのだが、朝は6時どころか6時半に起こしてもまったく起きれない。これはダメだ・・・疲れているんだ。ということで、今週は朝のお勉強を諦め、おかげで私はのんびりとした朝を過ごすことができた。もっとも私も自分自身に問題を抱えていたためそんなにのんびりできたわけではないのだが・・・。

全ては昨日の運動会で終わるはずであったのだが、台風の影響で昨日の運動会は2週間延期となってしまった。うーん、あと2週間これが続くのか〜、どうしよう。Greenの復習がもう少しで終わるんだけど、座ってDVD見るのは無理かな?せめてTACだけでもしとくかな。

先月応募したオーデォオCAPの結果が返ってきた。今回はReview 8、文字通りの駆け込みで8月31日に録音、提出したのだが、私が出張であったため妻が全ての手続きをしてくれた。一部発音に不安が残る部分があったが、練習を繰り返したおかげで録音は一発で成功したようで、無事にパスすることができた。よかったよかった。次はReview 9、If I Were Tallを練習中だが、まだなんとなく歌っているだけで文章を理解していない。今月の応募はまだ厳しいかな?

そもそも娘は駆けっこが苦手で運動会はあまり好きではなかったはずだが、今回はチアリーディングのダンスがあるので一生懸命になっているようだ。家でも時々踊って見せてくれるが、なかなか凝った振り付けで「4歳でもこんなダンスするんだ!」と驚いている。

運動会を見るために義両親が駆けつけてくれたが、結局延期になったため昨日も今日も昼から宴会になってしまった。昨日はビール、焼肉、ケーキ、ワイン・・・、今日も昼からビール、スパークリングワイン、チーズ・・・。待てよ、一昨日も深夜に妻と義母とでビール、日本酒を飲んだぞ。そして酔うとなぜか妻に玉子焼きをリクエストしてしまい3日連続で食べている。γ-GTP、コレスレロール・・まずいかな?

お墓まいり

今週のお題はてなブログ フォトコンテスト 2017夏

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父方のお墓は実家から車で30分の距離にある。しかし、年末、お盆、春秋の彼岸には母が欠かさず掃除に行ってくれているようであるが、なかなか家族でそろってお参りに行くことがない。私が最後にお参りしたのはいつだったか・・・。

一方、母方のお墓へは毎年お参りに行く。祖母の実家が養子(祖父)を迎えるような古い家であり、家の存続、子孫繁栄を託されていた祖母にとってお墓まいりは一大行事であった。2泊3日で親戚一同が集まるのだが、実際お墓に参るのは1時間程度で、あとは海水浴、宴会など、要するに”親戚より”の良い機会となっていた。父も自分の家のお墓には参らないのにこの旅行に参加するのは大好きで、我が家の夏休みの行事はこの旅行が全てであった。祖母が亡くなって以降、様々な事情で最近は親戚が一同に会することはなくなったが、私の家は未だにこの行事を続けている。今年の夏も恒例のお墓まいり旅行に出かけてきた。

前にも書いた通り、疲労困憊、旅先でぎっくり腰まで起こしてしまった私には散々な旅行であったが、お墓まいりだけはきっちりしてきた。

 

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まずお墓の周りの掃き掃除をして、墓石にザブザブ水をかけながら亀の子束子でゴシゴシ磨き、樒を備えたら準備完了。お線香に火をつけみんなで順番にお参りする。

手を合わせて拝みながら何を考える?ご先祖様に関しては、小さな頃からお墓まいりの前に祖母がいろいろとお話をしてくれ、それも毎年聞いていることなのでまんざら知らない仲ではない気になっていた。目をつぶって手をあわせると、「こんにちは。今年もお参りにきました。これからもしっかり見守ってください。」などと唱えていた。祖父、祖母がお墓に入ってからは一層身近なものとなり、もう少し気楽に近況報告をしている。その報告が実際に届くことはないのだろうが、自分がここにいるのもご先祖様のおかげと感謝し、自分の日常を振り返る内省の時間であると考えている。出処進退を明らかにするといったところか?

 そういえば娘にはまだそんな話を全くしていない。なぜか掃き掃除が大好きなのでお墓の周りの掃除は率先してやっているが、後は周りに合わせ、よくわからないけど拝んでいるのだろう。先日のひいおばあちゃんのお通夜でも、焼香の時困った顔してたもんな。妻の実家もお墓まいりは欠かさない家である。今年は私はお参りできなかったが、娘はちゃんとお参りに行ってきた。

毎年の恒例行事としてお墓まいりを続けていくうちに、徐々に覚えていくことだろう。どうして自分が生まれてきたのか、どんな家族に囲まれ、どのような家庭に育ったのか。迷った時や人生の岐路に立った時に、考える一助となってくれると信じている。

 

弟の結婚式。

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弟の結婚式に出席してきた。40を超えても結婚するそぶりを微塵も見せず、我が家の長年の懸案事項であった弟の結婚問題は、年明けに弟が彼女を実家に連れてきたことから事態が急速に展開していった。弟はただ紹介しただけのつもりで結婚はまだ当分先と思っていたようだが、彼女は早く結婚したがっているという意思を確認した母は、相手方のお母さんとすぐに連絡をとりあっという間に話を決めてしまった。親族を中心としたこじんまりとしたものであったが、なかなか良い式であった。

土曜日の午後、娘のピアノのレッスンからそのまま新幹線に乗って出かけたが、約1時間のちょっとした小旅行であった。娘にはジュースを買い私はビール、ポテトチップスをつまみに二人で乾杯し、何やら話していたらあっという間に着いてしまった。10分遅れで出張先から妻が到着、合流し、3人でバスに乗ってホテルへと向かう。海辺に立つ風光明媚なホテルだがあいにくの曇天、景色を楽しむこともできずまっすぐに部屋へと向かった。娘は自分のリュックになぜかサングラスとハンディ扇風機を詰めてきており、部屋に入るやいなやこの二つを取り出した。夏の旅行ということで彼女なりに盛り上がっているのだろう。日が暮れて暗くなったのと、冷房がとても効いた部屋だったためこの二つはすぐに用無しとなったが・・・。

久しぶりに集まった親戚と夕食をとり、部屋でひとしきり話し込んでから床についた。

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開けて日曜日、雲一つないとまではいかないが晴天であった。11時集合だからとのんびり娘と海辺を散歩などしていたが、最後はバタバタと時間に追われることになった。

11時半より結婚式開始。親族紹介、披露宴と流れるように進んでいく。ご祝儀を受け取りお車代を渡し、お金を持ち歩くものだから式から披露宴までずっと、鍵のかかるキャリーケースをゴロゴロと持ち歩く。写真を撮って、ビデオを撮って、合間には料理を食べてお酒を飲んでと、なかなか忙しい時間を過ごした。

娘もベールガール、リングガールと大活躍であった。人見知りして怖気付くのではと心配していたのだが、どうやら取り越し苦労であった。結婚式でのベールガールはさすがに緊張していたようで、表情も固く出番が終わるとすぐにこちらに駆け戻ってきたが、披露宴でのリングガールでは、ABBAHoney Honeyにノリノリで、結構楽しんでいるようだった。あれ、そんな性格だったっけ?

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いよいよ父の挨拶。もともと文章を書くのは得意な父であったが、高齢故スラスラとしたスピーチとはならなかった。何回も原稿を見直し、時にはどこを読んでいるかわからなくなることもあったが、まあ気持ちは伝わったよ。

そして最後に弟の謝辞。久しぶりに聞いたが、実に弟らしい文章だと思った。両親への感謝、新婦への想いを素直な言葉で述べていた。感極まって言葉に詰まっていたが、後で母が「男が泣くのはおかしい」とたしなめる。これも実に母らしい。 とにかくこうして弟の結婚式、披露宴は無事に終了し、我が家の長年の懸案事項が片付いたのであった。

ところで、今回娘に「結婚って何?」と聞かれ説明に困った。言葉で説明しようとしてもなかなか伝わらない。パパとママと君が今こうして一緒にいる、こういうことだよ。

厳しさの加減。

 

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今日は土曜日。ようやく巡ってきた週末であるが、本日もスケジュールがいっぱい。妻は朝から仕事、まだ寝ている私たちを尻目にいそいそと家事を済ませ、寝ぼけた娘の髪をバレエに備えセットすると、朝食もそこそこに出かけて行った。お疲れ様。いつも本当にありがとう。

さあ後は引き受けた。二人の時間の始まりだ。まずバレエに出かけるまでの間、お勉強をする。本日はDWE 6 レッスン 2のStep 2-4。What is he dreaming about?に対し、foodとかboneと単語では答えることができるが、文章にできない。少しずつ文章で答えていた時期があったのだが、Yes, he is. とYes, he does.の違いを指摘したところから急に話さなくなった。間違えることがすごく嫌いなようで、最近はTelephone Englishでも単語のみで答えることが増えている。間違いを恐れずにどんどん話して欲しいのだが、どうしたものか。引っ込み思案の娘は祖父母や”いとこ”など、限定された知り合い以外の前ではとてもおとなしい。保育園やCFKでの授業参観を見ていても、先生の質問に自発的に応えることはほとんどない。もう少し積極性を持って欲しいのだが・・・。

そんなことを考えながら、娘をバレエ教室に連れて行った。1時間のレッスンだが、昨夜の小説の続きを読んでいるとあっという間に時間が過ぎる。と、レッスンを終えた娘が両目に涙を浮かべ出てきた。なにやら先生に注意されたらしい。ママにしがみついて泣いているお友達もいる。最後にスタジオから出てきた先生より親に向けてお話があった。「幼児向けとはいえ、レッスンはただ楽しければ良いものではない。教えることはきっちり教えるし、できていないことは注意していく。今後成長するにつれクラス(指導者)が変わっていくが、いつでも一番前に出て、一番先生に見てもらえるような、そんな子供に育って欲しい。そのためには前に立つ”自信”と”強い心”が必要だ」といった話であった。決して変な怒り方をしているわけでなく、きちんと子供と向き合った上で注意してくれている。ありがたいと思った。

実は娘が通っている保育園も先生がしつけに厳しく、しっかりと子供と向き合い怒ってくれる。”保育園ではしっかり怒るので、家ではやさしく抱きしめ、甘えさせてください”みたいな方針だ。だから保育園では驚くほどお行儀が良いけど、家では食事中なんかもかなりお転婆である。それこそお言葉に甘え家では結構甘やかしているものだから、父から”もっときちんと躾けなさい”といった注意を受けることがある。もう少し厳しくする必要があるのかな?子供を育てるって、本当に難しい・・。

さて昼食を食べ終わったところであるが、これからピアノのレッスンに行って、その足で新幹線に乗る予定。明日弟が結婚する。結婚式に出席するため、新幹線で1時間ほど離れた街に出かけるのだ。妻とは今夜現地で集合する。明日は娘もベールガールやらリングガールといった役割があるらしい。人見知りを克服できるかな?

Another story。

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このブログの存在をまだ妻に伝えていない。

遅い時間までパソコンに向かってカチャカチャ文章を書いてみたり、”はてなブログPerfect Guide Book”なる本を机の上に置きっぱなしにしてたりするので、薄々は気付いているのかもしれないが・・・、いや案外と鈍感な妻は全く気付いていないのかもしれない。文章を読んでもらって感想を聞いてみたいものだが、いったん知られてしまうと次からの文章が書きづらくなるような気もして、どうしたものか逡巡している。 

私がブログを始めた動機は大きく4つある。以前”ブログを書く動機”で下記3つの動機を挙げた。

  • 喋りたい。
  • 子供の成長の記録を残したい。
  • 教育にあたり、いろいろな先輩方のブログが参考になっている。もし自分の記録が役に立つのであれば、参考にして欲しい。

 

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この時は話が長くなるので省いたが、もう一つの理由は”娘への手紙”である。

私は数年前ある病で手術を受けたのだが、術前検査で鑑別疾患に致命的な病名があがった。昨日までは気さくに話してくれていた先生が、突然かしこまって硬い言葉で説明をしてくれる。病名を告げられた後もしばらくは一緒にいてくれた家族が帰り、病室から一人で夏の青空を見上げていると、先ほどまであんなに大きく聞こえていたセミの大合唱が急に遠のいていく。まるで映画みたい、本当にこうなるんだ・・・。

娘はまだ妻のおなかの中。すぐに死ぬことはないだろうから娘と対面はできそうだな。でも、物心つく前にはいなくなっちゃうのかな?どうせ親は先に死ぬんだし、あんなに待ち望んだ初めてのわが子、授かっただけでも良しとしよう。これもまた運命!と、案外冷静に受け止めた。

覚悟を決め、まだ見ぬ娘に何を残せるのか、いや記憶に残らないのであれば記録も残さない方がかえっていいのかな?など、術後の検査結果が判明するまでの2週間、あれこれ考えていた。結局検査結果は良性であったためこの話はいったんここで終わった。

しかし、話はまだ続く。術後2年ほどして体に変化が出だした。何かおかしい。徐々に増えていく様々な症状をネットで調べてみると、どうやっても恐ろしい病名に行き当たる。まさかと思いつつも病院を受診し、精密検査を受けることとなった。かなりおかしな検査結果も出たため、もしや・・・という状況にもなったが、最後は”たぶん大丈夫でしょう”という結論になった。ほっとした。しかし、症状は治まらないまま、というかどんどんひどくなる。この症状や検査結果の異常はいったい何が原因なの??昼間は仕事をしているのでまだ気が紛れるのだが、夜になるとどうしても症状に意識が向いてしまい眠れない日々が続いた。たぶん大丈夫、たぶん?、もしかして本当は・・・。

2年前はすんなり覚悟できものが、今回は全くできない。娘が生まれ実際に触れ合うと、我が子の存在が一気に現実のものとなっていたのだ。この子が成長の過程で困難に直面した際、的確なアドバイスを送ってあげられないのは辛い。やはり自分の思いを伝えたい、残すべきだ。6歳の娘、12歳の娘・・・、さまざまな年齢の”将来の娘”に宛て手紙を書こうと考えた。結局、結婚する娘に宛てた手紙から書き始めたため、あまりに辛すぎて頓挫してしまった。我ながらバカだねー。

3年たっても生きているので、どうやら恐れていた病気ではなかったようだが、ブログを書き始めてからこの頃の気持ちをよく思い出す。父が何を考えて娘を育ててきたのか、機会があれば読んでほしい。 習い事でも部活でもなんでも一緒だと思うけど、勉強をする理由の一つに、きついことをやり遂げる、忍耐力を養うことがあると思っている。雨の日も風の日も、眠い日もきつい日も継続する。そうすることで人間の器が大きくなっていくのではないか?そんなことを考え、手を替え品を替え毎朝起こしてるんだよ。まあ、仕事の愚痴やお酒の話もよく出てくるが、それは社会勉強だ。 

さて今まで述べてきたのは私の一方的な意見。このブログには父親から見た”我が家”の世界が広がっている。しかし妻から見た”我が家”は一体どんな世界なんだろう?同じ出来事でもまた違った見え方をしているのではないか?そのAnother storyをぜひ聴いてみたい。娘も喜ぶのでは??ブログ作成を勧めてみよう。忙しい妻がこの案に乗ってくれるかな?