DWE(ディズニーの英語システム)~サラリーマンパパの子育て日記~

サラリーマンパパが娘とディズニーの英語システムに取り組む日々で、感じたこと、印象に残ったことを記録していきます。

英語教育を始めたきっかけ。

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女の子に人気の習い事。

どのランキングを見てもだいたいピアノ、英語、スイミング、バレーやダンスなどが上位に入る。男兄弟で育った私にとってはピアノが女の子の象徴であり、娘にはピアノを習わせたいと思っていた。妻は子供の頃にピアノとバレーを習っており、やはり娘にはこの2つを習わせたいと思っていたそうだ。

ではどこから英語教育の話が出てきたのか。

 

話は祖父の代に遡る。

祖父は田舎の子だくさん農家に生まれた次男、幼い頃から家の仕事を手伝っており、大学へなど行っていない。結婚後は新天地を求め外地に移住し、これまた子だくさんな家庭を築いていた。しかし終戦を迎え生活は一変する。なんとか家族全員無事に引き上げることはできたが、帰国後は自給自足のような生活で大変苦労し、子供たちも早くから働き生計を支えたそうだ。私の父は末っ子だったため、兄や姉たちがこの子には学問をさせてあげようと協力してくれたそうで、父は大学に行くことができた。家には電気も引かれておらず、カーバイドの灯りの下で勉強したそうだ。

 

一生懸命勉強した父ではあるが、この世代にありがちで、英語は机上の知識は十分にあるけど実際に使えない。そこで父は子供の英語教育が重要と考え、小学生の私を英語教室に通わせた。昭和の当時、特に私の住んでいたような田舎ではディズニーの英語システムどころか英会話スクールすらなく、英文科を卒業した奥様が社宅内で開いた個人教室に通った。生徒は私を含め3人。今のように英語の教科書がたくさんあるわけでなく、ましてや子供用の教科書などない。

先生が学生時代に使っていた教科書を利用しての授業だった、と思う。いや、よく覚えていない、全く印象にないのだ。ストーリーがあるわけでなく、ひたすら"3単現のS"とか復唱してたので、今思えば英文法でもしていたんだろう。みっちり1時間、先生の対面に正座し授業を受けたが、何にも頭に入らず苦痛以外の何者でもなかった。

ある日、3年間も通わせていればぺらぺらになっているとでも思った父に、いろいろと質問された。しかし全く答えられない。かろうじてアルファベットは暗唱していたが、知っている単語すらほとんどなく、和訳、英訳など論外。

いつもはすぐに殴る父であったが、3年間も放っておいて今更と思ったのか、あるいはそのとき酔っていなかった幸運のためか、手も出さずに憮然とした表情で”もういい”と言われた。程なく英語教室をやめることとなった。

出来が悪いとかいう以前の問題で、心構えのなっていない生徒だった。一生懸命教えてくださった先生には大変申し訳なかった。

 

中学生になり英語の授業が始まってからは、”これからの時代英語は大切だぞ”と、それこそ耳にタコができる程言われ続けたが、 ただやれと言われてできるものでもない。

結局私はあまり英語にのめり込むことなく現在に至る。必要に迫られ最低限の学習はしたが、今になってもっと自由に使いこなせたら仕事の幅が広がるだろうなと感じることがある。

 

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自分が一夜漬けの人生であったため、子供への教育ではまず継続することの重要性を教えたかった。そして自分の経験から、継続させるためには親が一緒に学習することが重要と考えていた。この娘と一緒にできる勉強ってなんだろう?

首が座った娘、寝返りができるようになった娘、ハイハイする娘、歩き出した娘を見ながら考え続けた。その結論が英語学習である。

 

失敗体験に基づきただ自分がしたかっただけかもしれないし、父の執念、そして叔父・叔母が父に託した希望を端緒としているのかもしれない。考えすぎ?

まあ気楽に、ただし人任せにはせず、一緒に楽しんでやっていきたい。

 

ディズニー英語との出会いは、以前にも書いた通りただの偶然だった。私たちにとって教材の良し悪しは継続のしやすさ、今のところ十分に満足している。