DWE(ディズニーの英語システム)~サラリーマンパパの子育て日記~

サラリーマンパパが娘とディズニーの英語システムに取り組む日々で、感じたこと、印象に残ったことを記録していきます。

ひいおばあちゃんの死。

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土曜日は娘のお稽古日。最近は近所の図書館で開催されている”絵本の読み聞かせ会”にも行くようになり、娘のスケジュールはなかなかタイト。バレエ➡︎買い物➡︎昼食➡︎ピアノ➡︎図書館と続き、16時過ぎに帰ってくる。

昨日も朝のお勉強を終えた後、妻と娘はレッスンに出かけ私は休日出勤、夕方は私の方が少しだけ早く帰宅した。帰宅時に誰もいなかったので、これ幸いとベッドでまどろんでいると、ほどなく二人が帰宅。早速娘は私を探し出し、足の裏をコチョコチョし始めた。「ちょっと昼寝させて」と言ってもベッドによじ登ってきてじゃれ始める。そしてピョンと飛んでお腹に飛び乗ってきた、というか脇腹に”頭突き”してきた。

”トトロか!”と、最近一緒に見たDVDが脳裏をよぎったが、無防備なお腹に受けた衝撃に悶絶していると、まずいと思ったのか娘は無言になり、少し離れたところからこちらの様子をうかがっている。悪いことしたと思っているのかな?「危ないから気をつけて」と注意すべきなのか?無邪気に戯れたいだけなんだし、子供の欲求に応えるべく自分の肉体をもっと鍛えるべきなのか?など考えていたら、「すー、すー」と寝息を立てて眠りだした。まったく無邪気だ。しかし、男の子だったらきっとこんなもんじゃないのだろう。力も強いだろうし、頭突きどころか蹴りやパンチが飛んでくるんだろう。ついていける自信がない。女の子で助かった・・。

結局娘はそのまま2時間ほど昼寝をしてしまう。起きたのは18時過ぎ・・・まずい、これでは20時就寝はとても無理だ。少し疲れさせないと寝ないだろう。ということで、夕食後に家族3人で散歩に出かけた。”しりとり”なんかしながら歩いていると、突然娘が星空を見上げ「ひいおばあちゃんはどこにいるのかな?探さなきゃ」と言い出した。

先日妻の祖母が亡くなった。あまり具合が良くないというので、お盆の帰省方々妻と娘がお見舞いに行ったのだが、その日の夜に亡くなった。仕事の都合で同行できなかった私は、急いで妻の喪服と娘の着替えを準備して通夜に駆けつけた。

100歳を超えても大きな病気とは縁遠く、坂の多い街でも一人暮らしを続けていたが、最近は体が弱ってきていたので妻の叔父、義母が交互に泊まり込んで介護をしていた。傍目には大往生と思われたが、喪主である長男(妻の叔父)は「もう少し生きていて欲しかった」と涙ながらに挨拶を述べた。幾つになっても尽きることはない親への愛情に思いを馳せた。 

その通夜の席で、娘の態度がおかしかった。棺に入ったひいおばあちゃんの顔を見せたのだが、なんとも言えない表情、多分気持ちの表現方法がわからなかったんだろうが、でモジモジしている。初めて接する”人の死”に戸惑っているのだろう、何も言わずにギュッと抱きしめた。泣くわけでも愚図るわけでもないが、その後何度も「ひいおばあちゃんの顔を見せて」とせがみ、棺の中で動かないひいおばあちゃんを見て、何かが変わってしまったことに気づいたんだと思う。

その後は特にひいおばあちゃんのことが話題に上ることもなかったが、昨夜の散歩で突然娘から話し出したのであった。「悲しい?」と聞いても「いいや」とのこと。死を認識はしたが、まだ意味はわかっていないのだろう。こういう経験を積んで(あまり積み重ねて欲しくはないが)、死の意味、命の大切さを知っていくのだろう。

自分が3歳の時、父方の祖父が亡くなった。葬儀のシーンをよく覚えているのだが、みんなが神妙な顔をして正座している(お経を聞いている)中、父親の背中にじゃれついて”遊ぼう〜”とか言っていた。母親に台所に連れ出されたところで記憶が途切れるが、死の意味は全く理解していなかった、と思う。

今回のひいおばあちゃんの死、娘の中ではどういう記憶になっていくのだろう。しんみりとこの文章を書いている私を尻目に、娘は近所で開催される”餅まき上棟祭”に出かけて行くのであった。