ベッド転落事件。
今週のお題「ちょっとコワい話」
年を重ねるにつれ”怖い”と感じる対象が変わってきた。お化けが怖かったあの頃が懐かしい。娘を見ていて「そんなものが怖いの?」と、申し訳ないが感動すら覚えることがある。
娘の怖いもの。
年上の男の子(映像)と動物。
とある英語学習DVD教材の事。そのDVDは娘も気に入っていて、それを再生しておくと大人しく見ているので、その間に私も妻も自分の仕事ができる。我が家のテレビはリビングルームにあり、そのソファーに座って娘は見ているのだが、ふと、そのDVDをかけている間に娘が定期的にダイニングルームに駆け込んでくることに気付いた。最初はふざけているのかと思ったが、目線はテレビを見たままで真剣な顔をしている。最初は気に留めていなかったが、毎回、しかも規則正しくそれが繰り返されるので、ある日DVDを一緒に見てみると、10歳ぐらいの男の子がアップで話しかけてくるシーンと、実写のトラが大きく口を開けるシーンで突然娘が逃げ出した。「なんで??」と尋ねると「怖い・・・」とのこと。へー、こういうのが怖いんだ。
暗闇。
就寝時に全ての電気を消して真っ暗にすると、ギャーギャー騒ぎ出す。なぜ怖いのか聞いてみると、「だってお化けが出るもん」とのこと。だけどお化けが怖いのかといえばそうでもない。「ねないこだれだ」を読んで聞かせても全く怖がっていない。大人しく歯を磨かないとき、はしゃいで夜なかなかベッドに入ろうとしないときに、お化けが出るよ!と脅しても、ほとんど効果がない。まだ見たことないからか?よし、今度肝試しでもして脅かしてやろう。
虫。
まだ3歳になる前だったか、庭先でケラケラと笑いながらダンゴムシをいじり回していた。女の子は虫を嫌がるものとの先入観を持っていた私はびっくりしたが、まあこんなものかと、差し出されたダンゴムシから逃れるため垂れ流しの鼻水を拭ってあげた。あれから早2年、もうすぐ5歳になる娘は虫を怖がるようになった。なぜか風呂場やダイニングルームに時折出没するゲジゲジ虫。最初は面白がって「パパ〜やっつけて〜」とか言っていたが、最近は身をよじって本気で嫌がっている。ここのところほとんど家にいなかったが、多分妻が代わりにやっつけてくれてるんだろう。
親。
怖いわけではないのだろうが、妻に強く怒られた時、泣きながら私のところにやってくることがある。「ママが・・・、ママが怒るの」とか泣きじゃくりながらこっちに来ると、役得とばかりに抱っこしている。一方この逆はどうなんだろうか?我が娘は世渡り上手で、「パパとママとどっちが好き?」とこっそり聞いてみても、「どっちも好き」と模範的回答をする。しかし、ママを本気で嫌いになることは決してないだろうが、「パパ嫌い!」の話は世間一般にしばしば耳にする。ただの都市伝説とも思えず、パパの地位は危ういのかと密かに戦々恐々としている。
さて私のちょっとコワかった話。それは娘のベッド転落事件。
我が家のベッドはなかなかの品。まだ娘が生まれる前、腰痛持ちの私が「人生の1/3近い時間を過ごす場所だから」と妻を説き伏せ、かなりなものを購入した。腰掛けるときも楽なように高さもかなり高め。値段に見合った寝心地に妻も満足してくれた。大きなベッドであったが、娘がベビーベッドを離れ3人で一緒に寝るようになると手狭となってきた。寝始めは川の字なのに、必ず途中でHの字になっていく。頭突きやドロップキックで起こされることが頻回となり、これはまずいともう一台ベッドを購入することとなった。3人で寝れるように高さを揃えた廉価品を購入し、隙間なく並べて使っている。廉価品で寝ているのは私だが・・・。
ある昼下がり、私が昼寝をしていると当時2歳の娘がじゃれついてきた。2台を並べて使っているのでかなりの広さがあり、ベッドの上でジャンプして掛け布団に倒れ込むことを覚えた娘は、右に左にとダイブしまくっていた。これは危ないなと、声をかけようとした矢先、後ろ向きにひときわ高く飛んだ娘がそのまま視界から消えた。「えっ??」と「ゴン!!」がほぼ同時。「やばい!」と「ぎゃー」もほぼ同時。凍りついていると妻が飛んできた。「落ちた!落ちた!」を繰り返す私を尻目に、肝の据わった妻は「おーよしよし」と娘を抱っこしあやしてくれた。幸い、かなりの高さを頭から落ちていったにもかかわらず大事に至らず済んだ。
子育ての本で子供が頭をぶつけるのは良くないという記事を読み、大事に大事に育てていたつもりなんだが・・・。子供(特に乳幼児)の安全を確保するのは親の役目、十分わかっているつもりだったが甘いのだろう。布団と比べるとベッドの高さはリスクでしかない。結果が大したことがなかったのでこうして話ができるが、ちょっとコワい話であった。
なお、この後布団で寝るようになったかというとそうではなく、娘は計3回もベッドから転落することになる。しかし頭から落ちたのはこの1回だけで、この後は落ち方が上手になり、猫のようにストンと落ちるようになった。なんでそんなことができるんだ?
CAP 〜Green 〜
Green CAP
BlueのStep by Stepは2016年9月25日に終了したが、Telephone Englishが追いついていなかったので、その間はStep by Step Blueの復習を行った。11月9日にBlueのTelephone CAPにパスし、Step by Step Blueの2巡目も順調に終了したので、11月27日からStep by Step Greenを開始した。
スケジュール
2017年4月末までにGreen CAPをパスすることを目標とした。実際のスケジュールは下記のごとくであった。この頃はまだ週末詰め込み型のお勉強であり、振り返るとかなり無茶なスケジュールだったと思う。消化不良の部分も多かったが、とにかく前に進もう!という方針で進めた。
DWE 4
レッスン 1 Step 1-9 11/27
レッスン 2 Step 1-12 12/8
レッスン 3 Step 1-11 12/18
レッスン 4 Step 1-8 12/30
レッスン 5 Step 1-7 1/2
レッスン 6 Step 1-5 1/3
DWE 5
レッスン 1 Step 1-5 1/15
レッスン 2 Step 1-7 1/22
レッスン 3 Step 1-6 1/29
レッスン 4 Step 1-5 2/5
レッスン 5 Step 1-6 2/11
レッスン 6 Step 1-11 2/12
DWE 6
レッスン 1 Step 1-6 2/19
レッスン 2 Step 1-5 2/22, 3/4
レッスン 3 Step 1-5 3/5
レッスン 4 Step 1-10 3/26, 3/31
レッスン 5 Step 1-7 3/31, 4/2
レッスン 6 Step 1-5 3/25, 4/2
Greenになるとやはり難易度が上がった。Activity BookやRight Light Checkでも時々間違えるようになった。長いレッスンも1日でやってしまおうとするから、2時間近くかかった日もある。集中力が続かず、途中で喧嘩になることも多々あった。泣くこともしばしば・・・、しかし泣いた後の集中力がものすごく、その力で一気に最後まで駆け抜けるような感じであった。よく頑張ったよ。
ただし、DWEのお勉強がだんだん嫌いになっていくような気がして、やり方を変えないといけないと思い始めた。
オーディオCAP
11月からGreenのオーディオCAPを始めた。
Pre Lessonはそれぞれのレッスンに出てくる単語とセンテンスを10個録音する課題。
Reviewはレッスンに出てくる詩の暗唱、または歌をフルコーラス歌う課題。
- Pre lesson
Pre Lesson 4 11/27
Pre Lesson 5 12/31
Pre Lesson 6 1/31
この頃から録音方法、編集が安定してきたため、録音操作そのものに苦労することはなくなった。後ろで調理してた妻が炒め物を始めたため”ジャー”っていう音が混じり、撮り直しになったことはあったが・・・。
- Review
Review 4 果物の木の詩 11/27
Review 5 サルの詩 1/31
Review 6 Eyes and Ears 2/27
歌はテンポが速くなるとついていけなくなり、”むり〜”とのことで詩を選択した。果物の木の詩はすぐに覚えたが、サルの詩は少し苦労した。Blueの経験から親がきちんと覚えないと教えられないことがわかっていたので、まず自分でしっかりと覚える。詩は教材のCDに入っていないので、DVDが見れない環境では自分がお手本になるしかない。Japanese accentにこだわっている場合ではなく、お風呂の中、散歩の途中などこまめに暗唱し精度を上げていった。Review 6では詩がないので、テンポの遅い歌、Eyes and Earsを選択、これもしっかりと練習し2月にパスした。しかし典型的な月末駆け込み応募である・・。
Step by Stepをやり遂げ、3月29日にTelephone CAPをパスした。
振り返って
Blueと比べるとGreenはなかなか大変だった。難易度も上がっているから当然かもしれないが、苦労した大きな理由は下記2点。
- 予習不足。GreenのStraight-Playがあまり好きでなく、Blueに比べると見る回数が少なかった。TACで予習をしていない。
- 4歳児にとって週末詰め込みで対応するには酷な内容であった。
詰め込み勉強は当然ストレスとなっており、お勉強を嫌がるようになってきた。
Lime CAPを目指そうよ!と誘ってみても、前回のように”やる!”とは言わず、”え〜、もういいよ”と応える。マズい。そこで改善策を娘に提案した。
- 少しずつしかしない。でも毎日継続する。
- 予習をしっかりする(TAC、Straight-Play)。
- 楽しくする。
しぶしぶだったが納得してくれた。
送られてきたGreen CAPを実際に手にすると、やはり嬉しかったようである。さらにそれを被ってCFKやイベントに参加すると、気分も盛り上がるようだった。
復習に時間を割くべきかプログラムを進めるべきか、少し悩んだが、とにかく前進することとした。こうして朝活と共にLimeのレッスンに突入していった。
夏休み。
先週末から突入した夏休みももう直ぐ終わり・・・。あっという間だった。
ちょっとした鬱だったのか、あまりに忙しくきつかったので、ここのところ全く文章を書く気になれなかったが、ようやく今日になって少し気力が出てきた。この機会を逃すまいと、ビールの力も借りて机に座ったのであった。
それにしても6、7月の仕事量は異常なものであった。あまりの仕事の忙しさに最初はブツブツ文句を言っていたが、自分のマネージメントで仕事量を調整することもできず、ひたすら”御意”、つまりは降りかかる仕事をこなす以外に手立てはなかった。
不思議なことに、こなしていくうちに徐々にそれが当然と思われてくる。朝7時から18時頃まではノンストップで当たり前、昼食なんてあるはずもなく、せいぜい水分補給ができれば御の字、夕方ようやくカップラーメンかおにぎりを食べてから書類作成、退勤時間は23時。往復2時間の通勤時間を差し引くと自宅滞在時間は6時間程度。昔よくやってたことじゃないか。ただし昔と違ったのは年齢、年をとったことだった。
先週末から夏休みに入り、家族旅行に出かけた。久しぶりに娘とゆっくり過ごせる時間。プールに行って、遊園地に行って・・・と色々思いを馳せていたのだが。体が全く動かない。起きれない。毎日何時間寝たことか。挙げ句の果て旅先でぎっくり腰になってしまった。皆がプールで遊ぶ中、私はベッドで留守番。海水浴も花火大会も留守番。お墓参りだけはなんとか参加したが、娘の”今年の夏”の思い出の中に、きっと私はいない・・・。あー。
前半は本当に、一体何時間寝るんだっていうぐらい”寝て”過ごしたが、後半はベッドに横になっているものの目は覚めている状態、ぎっくり腰のための安静状態で過ごしていた。文庫本を10冊ほど買い込んできて読んだのだが、鬱々とした気分の中ではいまひとつ感動がなく、いつものような”心の糧”になっていく感覚がなかった。それでも城山三郎の「そうか、もう君はいないのか」、池井戸潤の「アキラとあきら」で徐々に心がほぐれていった。そして住野よるの「君の膵臓を食べたい」を読んで目が覚めた。ずっと気になっていて文庫本が出るのを待っていたのだが、泣けた。良かった。池井戸潤の「七つの会議」が既読で2度買いだったことに気づいた時のショックも帳消しにしてくれた。「君の膵臓を食べたい」は今映画が上映されているらしいから、この週末にでも見に行こうかな・・。
さてこのブログの本題、娘のDWEの進行状況。
前述のごとく先月私はヘロヘロになっていたが、妻がきちんと娘とのお勉強を続けていてくれた。おかげで7月30日にDWE 9 レッスン5、つまりLimeのプログラムを終了した。最終回だけ私とお勉強、いいとこ取りをさせてもらった。感謝。
あとはCAP獲得に向け歌の録音をしないといけない。先月は応募できなかった。Review 8はThe Acrobatsの予定。これは地道に練習した甲斐があってかなり上達してきた。そろそろ録音できそうかな。Review 9はIf I Were Tallの予定、こちらはまだまだ練習が必要。来週からまた朝のお勉強復活できるかな??Greenに戻って復習をしていこう。
その前に、まずは仕事の配分だな。どうしてくれよう。
夏=恋愛?
今週のお題「私の『夏うた』」
夏を迎える高揚感、いや気分は高まるんだけどなんだか切ない感じ。
歳をとるにつれこの感覚はかなり薄れてきて、たまに思い出してはキュンとなる”昔の感覚”になりつつある。最近は夏であることすら感じる機会が少ないが。
そう、キュンとする感覚。いやジリジリと何かに焦がれるような感覚。中学、高校と田舎の男子校で育った私にはついぞその正体が明かされることはなかったが、おそらく夏=恋の季節、何となく雰囲気は感じとっても実際の恋を経験することのなかった私にとっては、夏=”恋に恋する感覚”だったんだろう。
「夏を迎える歌」については過去に書いてみた。
では夏ど真ん中の歌ってなんだろう?すぐに頭に浮かんできたのは昔のポカリスエットのCMだった。
大塚製薬 ポカリスエット CM 一色紗英 1994年 瞳をそらさないで
DEENの「瞳そらさないで」を聞きながら、恋を夢見ていたんだろう・・・。今見返すと切ないを通り越して微笑ましくなってくる・・・。
身動きできないほど虫カゴいっぱいにセミを捕まえて回る弟を横目に、切ない気持ちの正体がわからぬままに、無為な毎日を過ごした私。そして夏はあっという間に過ぎ、盆を過ぎるとひぐらしの季節に。これがまた思いっきり哀愁を誘う。なんなんだ一体、まだ宿題も終わってないのに。思い返せば全く生産性のない、そして覇気のない生活を送っていた。
さて、ではこれからの夏はどうなっていくんだろう。ほとんどは仕事で忙殺されるとしても、妻と娘と過ごす夏休み、何をしよう?お墓参り方々、海水浴に行く予定である。沖まで泳いで、砂のトンネルを作って・・・。当日は地元の花火大会の日でもあり、これを浜辺に座って見るのも今年で3回目。どうか順調に仕事が片付き、無事に夏休みを迎えることができますように!
そして娘にとっての「夏うた」はどんな曲になるんだろう?若い女性歌手への取材記事で”父親が聞いていた音楽の影響を受けて・・・”というのを読んで、娘に私のiPodを聞かせてみたことがあったが全く不評であった。今は保育園で習う童謡に凝っている様子。そんな娘にも恋する時期が来るんだろうなー。
今週のお題、PL学園の校歌で話を組み立てようとしていたが、ビールを飲みながら書き始めたらこんな話になってしまった。
そして夏休みのくだりで明日が妻の誕生日であることを思い出した。まずい、何も準備してない。
気分転換。
ちょっと下ネタ系の写真が出てくるので、嫌いな方は見ないでください。
私のストレス発散法は「食」と「お酒」。
仕事が忙しくなると、精神的なバランスをとるためか暴飲暴食が始まる。後輩、同僚と飲みに出るとかならまだ良いのだが、仕事が終わるのが23時とかになってくると、それも難しい。一人で仕事帰りに発散する。
とある平日の23時50分に食べたのはこれ。24時閉店のお店だったのでギリギリだったが、とにかく駆け込んだ。早く寝れば良いのに何がそこまで自分を駆り立てるのだろう?と若干の疑問もあったが、「食べるぞ!」という衝動の前にかき消されていた。
美味しかったけど、翌朝は胃がもたれた。
お店が開いている時間に終わらない時は、昼ごはんで発散。これだけ忙しくなってくると昼ごはんを食べれる日もあまりないのだが、食べれそうな時はガッツリいってしまう。生存本能?
黒烏龍茶は愛嬌。これだけのカロリーの前には無力だろう。
最寄り駅の近くにバーがある。阿部寛や夏川結衣が出演していた「結婚できない男」というドラマが大好きで、仕事帰りによれる行きつけのバーを作ることが夢であった。
このお店、前回来たのは半年前、今回で2回目なのだが、自分の中では行きつけのバーのつもり。これも23時過ぎ、家に帰る前によってみた。
この氷を包丁で削っていく。
職人だ。
ウイスキーはチョコレートをつまみにするのが良いそうだ。
そもそもウイスキーは、若い頃失恋した時に無茶苦茶な飲み方をしてひどい二日酔いになって以来飲んだことなかったけど、酔いたくて久しぶりに頼んでしまった。まあ、仕事の緊張が続いているので酔えないんだな・・・。
22時前に仕事がはけて同僚と飲みに行った時の写真。ビールの肴にソーセージを頼んだらすごいのが来た。
男4人で大笑いしながら写真を撮り、知り合いに送っていたら・・・。
この同僚、奥さんに「すごいのが来た!」って送るつもりが、間違って仕事先にラインしてしまった・・・。
こうしてみると、残業が月120時間超えても余裕あるな。
ライフスタイル~仕事
2週間ぶりのブログ。忘れるといけないから忘備録方々、まずはあった出来事だけ羅列する。
6月26日にDWE 8 レッスン5を終了。この月曜日の朝に娘と30分間過ごした後、次に娘に会えたのは7月1日、土曜日の夜だった。この週は娘に会えたのは2回だけ。
しかし朝のお勉強は妻と進めているようで、6月29日からDWE 9 に突入している。就寝時間がじわじわ遅くなり、朝6時に娘を起こしてもすんなり起きれなくなってきていた。そこで6月下旬より20時半までに寝る事を最優先事項とし、現在に至る。1日にStep 2個ずつのペースは守っており、本日DWE 9 レッスン 2 のStep12まで終了した。
Oxford Reading Treeも続けており、まあ少しづつは読めるようになってきているかな?
4月の人事異動の影響がじわじわと出てきており、残業時間がすごい事になってきている。今月は120時間を超えそう。若い頃は160時間ぐらい当たり前だったが、歳をとると120時間でもちょっときつくなってくる。
子供と過ごす時間を確保するため、転職しようかと本気で悩んだ時期がある。
あれは子供の人見知りが始まった頃だったか、土曜日の朝遅くにようやくベッドを起き出し、キャッキャとはしゃぐ娘の声に誘われてリビングに入っていくと・・・、私の顔を見るや硬い表情で妻の影に隠れてしまった。少なからずショックを受けた。早朝に出かけて深夜に帰ってくる暮らし。平日はほとんど子供と顔を合わすことがない。先週末はいっぱい一緒に遊んであんなに仲良くなっていたのに、もう忘れたの??
妻から奪い取るように娘を抱っこし、その週末も一生懸命遊んだ。その結果日曜日の夕方にはすっかり仲良くなって”パパ大好き!”ってなるのだが、次の土曜日には元の木阿弥。これに出張でもかぶろうもんなら悲惨の極み。
今の仕事は拘束時間が長く、私生活の犠牲を強いられることも多々ある。しかし、労働環境だけを見るとあまり恵まれたものではないかもしれないが、私自身はこの仕事にやりがいを感じているし、そもそも仕事ってそんなものだと思っている。ここまで育ててくれた会社には恩義こそあれ恨みつらみはないし、世に言う”社畜”だとも思っていない。娘が生まれるまではそれが普通だった。しかし娘ができ成長するにつれ、少しづつ価値観が変わってくる。娘と一緒に過ごす時間がもっと欲しくなってきたのだ。
うちは共働きなので日中は娘を保育園に預けている。妻が朝8時に預け18時に迎えに行く。私の退勤時間が早ければもっと早く迎えに行ける。一緒におやつを食べながら、その日あった出来事をゆっくり聞くことができる。夕食も早目に食べれば夜が早く寝れる。小学校に上がると学童保育になるのか?宿題はいつするんだろう?見てあげる時間はあるのだろうか?そもそも寂しくないのかな?考え出したら止まらなくなる。
転職しようか・・・。朝7時から始まって、15時頃には終わる仕事ってないのかな?そもそも通勤に時間がかかりすぎてるから、家の近くで仕事を探せないだろうか?まあ就職難のこのご時世、必死に仕事を探している人からは”何を勝手なことを”って怒られるかのしれないが、いろいろ考えたのである。
しかしそもそも仕事って何のためにするのだろうか?生活のためというのも重要な要素であるが、それだけだろうか?やり甲斐を感じ、打ち込むことができるような仕事に就ければばとても幸せだろう。
そしてもう一つ。子供は親の背中を見て育つ。親が仕事に打ち込んでいる姿っていうのはきちんと見せておくべきなんじゃないか?社会で責任を持つ、仕事っていうのはこういうもんだよって。
子供中心に生活環境を整えるのではなく、親を中心に、親が充実した(精神的に)生活を送ることが、娘に与える影響としては大きいのではなかろうか?
こんなことも考え、転職を妄想したままずるずると現在に至っている。自分の人生と子育て、本来リンクしているもので自然に両立していくのが理想なんだろうけど、自分にはそんな余裕がない。いま仕事に打ち込めているのかなー?惰性で仕事をしているような気もする・・・。
しかし、この文章を書いてて思ったが、これって現実逃避じゃないのか??
気分転換が必要だな・・・。
このハゲーッ!
ん?呼んだ?
娘が熱を出していた間、実家への送り迎えをするのと、仕事が立て込んでいたことで、ネットをちらりと見るぐらいの時間はあったが、ブログを書く時間は全く作れなかった。とある国会議員の秘書への暴行問題というニュースがあることは知っていたが、中身の詳細は知らないままであった。
私が家にいる時間、朝はお勉強をしているし帰宅時はみんな寝ているので、テレビがついていることはまずない。しかし木曜日の朝だったか、娘が寝込んでいてお勉強がなかったので妻がテレビをつけていた。すると出がけに甲高い声で『このハゲーー!』という声が聞こえてきた。なになに?思わずリビングに戻ってニュースを見てみると・・・。暴行事件って、言葉の暴力だったのか!女性議員が男性秘書に??ハゲ?なの?ゆっくり見る時間はなかったが、なんとなく事件のあらましを知ることができた。
その時の通勤時に考えたこと。
昨今いろいろな問題発言がある度に、”傷ついた”、”攻撃された”とされる弱者を代表する団体やコメンテーターによって厳重な抗議がなされる。しかし、ハゲが騒動になったことってあるんだろうか?ハゲ団体が遺憾の意を表したとか、厳重に抗議したとか、非売運動を展開して圧力をかけたなんて話は聞いたことがない。少なくとも私の記憶には残っていない。ハゲてる人たちが寛容なのか、ハゲていてもそれを問題としない人が多いのか・・・。でも増毛剤の売れ行きを見る限りそんなこともなさそうだし。そもそもハゲを代表する団体が存在するのだろうか?少し人よりおでこが広い私、いやそのような団体があったらきっとスカウトされるはずの私としては、そんなことは決してないだろうが、この問題がハゲを軸に展開していくのか推移を見守りたい。
さて今週のお題、もしも魔法が使えたら?
これもまた難しい。「願いが叶うなら?」とは違う?魔法という言葉がキーワードでメルヘンやファンタジーが求められているのか?
子供の頃ウルトラマンに憧れていた。しかしウルトラマンになりたいと思ったことはない。小学校1年生の授業参観の時、「このクマさんはなんて言っているのでしょう?」という先生の質問に対し、「クマは喋りません」と答えるような可愛げのない子供だったらしい。消防士に憧れアルミホイルで消防服を作るような子供らしい子供だった弟と比べ、ずいぶん冷めた子供だったようだ。多分その当時「もしも魔法が使えたら?」と聞かれたら、「魔法は使えません。」という冷めた返事をしたことだろう。
しかし、小学校の中学年になり読書をするようになってから、ずいぶんと空想の世界を旅するようになった。漫画を読むようになってからはいよいよひどくなる。キャプテン翼を読んではドライブシュートの練習をしてみたり、フィフティーンラブに憧れテニスをしてみたり、上手くできないもんだから”もしも・・・”の世界は広がる一方となった。
「もしも魔法が使えたら?」何度となく妄想してきたテーマである。しかし当然ながらその時々によって答えが変わる。
10代の頃は容姿にまつわる願い事や異性にモテること。20代はパチスロで設定6の台に当たりますように!、とにかく荒んだ生活を送っていた。30代になると魔法というファンタジーよりも、願望を叶えたいという生々しさが出てくる。お金や仕事・・・。
そして今。髪の毛??
今週のお題「もしも魔法が使えたら」