仲良くご飯食べてる?
今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」
今回は母方の祖父、祖母についてのお話。
私たち兄弟が祖父の仕事に少し関わっていたこともあり、子供の頃から祖父母と会う機会は多かった。この時から感じていた違和感、それは祖母が当主であるということであった。家の中ではいつでも祖母が中心、食事は祖母の一言で始まるし、祖父に対する発言もちょっと威圧的。リビングのテレビのチャンネル権もおばあちゃんが持っているため、大の巨人ファンであったおじいちゃんは、食事もそこそこに自室にこもり、一人テレビを見たりラジオを聞いたりしていた。家には祖父の仕事の都合で舞台があったが、座敷、舞台、祖父の部屋が”おじいちゃんの空間”、廊下を挟んでキッチン、ダイニング、リビング、祖母の部屋が”おばあちゃんの空間”、まるで家庭内別居である。おじいちゃんと話している所におばあちゃんは入ってこないし、おばあちゃんと話しているとおじいちゃんは”ふいっ”といなくなる。典型的な亭主関白であった父の下、しかし団欒のある我が家で育った私にとっては、非常に違和感のある家庭であった。この二人は仲が悪いのか??
祖母は古い城下町の出身、幼くして両親を亡くし複雑な家庭環境で育ったそうだ。孫の私から見ても少々ぶっ飛んだおばあちゃんであり、若くして家督を継承し”蝶よ花よ”と育てられた影響かと勝手に考えていたが、実は若い頃には大変な苦労をしてきたらしい。祖父母が健在な間はまだ良かったようだが、二人が他界してからが大変だったようで、おばあちゃんの昔話ではこの時期の話がほとんど出てこなかった。後からこの時期のことを他の親戚から聞いたのだが、きっとおばあちゃんにとっては辛い記憶なんだろうと思っている。
祖父は伝統芸能を生業とし、本来家督の相続が欠くべからざるものであったはずだが、祖母と見合いをし養子に入ることを即決、快諾したそうだ。「なんで結婚することにしたの?養子に入ることに抵抗はなかったの?」と何度か聞いたことがあるが、答えは「かわいそうだったんだよ」というものだった。子供だった私たちには「?」である。ちなみに祖母の家はこの伝統芸能と一切関わりがない。
孫には優しかったおじいちゃんではあるが、お稽古の時は厳しかった。幼稚園、小学校低学年の頃は何でも褒めてもらえていたが、高学年になってくると容赦がなくなってくる。特に姿勢。これは毎日注意されていたら身につくんだろうが、時々の稽古で矯正されてもなかなか・・。その姿勢の意味、足運びの意味をきちんと教えてくれたので、理屈っぽい私には腑に落ちることが多かったのだが、”人からどう見えているのか”というのがまるでわからなかった。腰が高い、膝が硬い、腕が下がっている、顎を引け、肘が・・・。今ならビデオを見てチェックできるんだろうけど、当時はいちいち指摘されては直していた。書いてて懐かしくなってくる。お稽古以外では・・、舞台や座敷で野球をすると怒られたし、枯山水の庭で大事に手入れされていた苔を、そうとは知らずに焚き火の火消しに掘り返した時も怒られたな・・・。
孫の中でも私は特に祖父に気に入られ、叔父が跡を継がなかったこともあり、子方を長く勤めるにつれ”跡継ぎ候補”として周囲、そして宗家にも認識されるようになった。プロとしてやっていける直前まで一通りを教えてくれたが(もちろんプロはもっともっと厳しい世界であるが)、結局父の仕事に興味を持っていた私は”その道”を外れることとなった。社会に出て多くを学ぶにつれ、当時祖父から格別なことをしてもらっていたことに気付き、改めて感謝することが多い。今になって思い返せば、稽古の合間や食事の時に、人生訓のようなものをさらりと話してくれていた。せめて大学生の頃に聞いていた話ぐらいはしっかり覚えておけばよかったのに、精神的に幼かった私は言葉の重みに気づいていなかった。今、お酒でも酌み交わしながら聞いてもらいたい話、相談したいことがたくさんあるのにな・・。もっと話を聞いておけばよかった。
さてそんな祖父母であるが、学生時代近所に住むことになった私は、二人の本当の姿を知ることとなった。この二人、本当は仲が良かった。祖父は仕事が忙しく月の半分は家を空けていたのだが、家にいる時は祖母と一緒のテーブルで食事をし、きちんと団欒をしていたのだ。二人で話すとこをほとんど見たことがなかったので、最初は非常に驚いた。私を騙すために二人で芝居をしているのかと本気で疑った。しかし・・、本当に仲が良かったのだ。おじいちゃんが仕事の話をし、おばあちゃんがねぎらいの言葉をかける。おばあちゃん、ツンデレ!最初はただ驚いていたが、しょっちゅう一緒にいる間に、それが二人の自然な姿であることがわかってきた。二人が同時に違う話を私に話しかけてくるのには閉口したが、微笑ましい姿を見て、この二人の孫で良かったと心が温かくなる幸せな時間を過ごすことができた。
長い学生生活の後半、二人はほぼ同時に認知症を患う。周りが全く疑っていない中、おそらく最も身近に二人を見ていた私は真っ先にその異常に気付いた。在宅介護、入院、施設への入所と、二人は徐々に離れていき、一緒に食事をすることはなくなった。
「かわいそうだったんだよ」と言ったおじいちゃんの言葉、多分これは「好きなんだよ」という意味。明治生まれの男の愛情表現だったんだろう。二人の仲睦まじい姿を見てきた私は知っている。
こないだお墓まいりに行ったとき聞き忘れてた。仲良くご飯食べてる?