ブログを書く動機
今週のお題「ブログ川柳」
私は文章を書くのが苦手だ。子供の頃から答えのある問題は解けるのだが、自分で自由に作っていいもの、つまり美術や工作などは大の苦手であった。作文など苦痛以外の何物でもなく、テーマを与えられても、自由作文であっても、何をどう書いて良いのかサッパリだった。
何かに一生懸命打ち込んでいたわけでもなく、四季の移ろいに心を奪われるほどの感受性もなく、ただ漫然と生きていたのであろう。何も考えていないから文章の書きようがなく、熱を出して寝込む話であっても、おじいちゃんが死んだ話であっても、いつも締めの言葉は最初に作文を書くときに習った”とても楽しかったです”であった。天真爛漫な子どもであった。
ただ一度だけ、食にまつわる作文であったと思うが、しいたけが嫌いということを書いたことがあった。授業時間の最後の20分ぐらいに追い詰められて書き出したのだが、この時だけはスラスラ書けたことを覚えている。そして何かの賞に入選した。後にも先にも作文を褒められたのはこの時だけである。しいたけが本当に嫌いだったので、素直に自分の思いを書くことができたのだろう。思いがこもった文章には人を惹きつける力がある。この時に気付いていれば・・・。
今になってわかるが、文章には気持ちを込めることがとても大切だ。はがき一枚にしても、つい作法にとらわれて定型文で埋め尽くしがちだが、少々おかしな文章になってでも気持ちを綴ってみると、案外良い出来になったりする。そして相手に印象を残しているように感じる。
気持ちを綴るためには語彙量が多いほうが楽しい。ちょっとした言い回しで文章が温かくなったり、締まったりと印象が変わってくる。古事成語や名句、漢詩などが入って来ると、端的に情景を伝えることもできる。我が子には美しく想いのこもった文章を書いて欲しい。
また父の話になるが、父もおそらく同じようなことを考えていたのであろう。我々兄弟は中学生の頃から親元を離れていたのだが、仕送りの条件として週に1回父に手紙を書くことが義務付けられていた。しかしただやれと言われてもできない。時候の挨拶もへったくれもなく、もともと気持ちや感想を書くことも苦手なので、ただひたすら部活で練習した内容のみ書き送るという、業務日誌のようなものであった。文才はあった弟であるが、さすがに週に1回のはがきには閉口したようで、 ”母上さま”で始まる一休さんのエンディングの歌詞をそのまま書き送っていたりした。母は文末の”一休”を読むまで涙を浮かべて読んでいたそうだ。
私も娘には、構えることなく気軽に手紙が書ける大人に育って欲しいと考えている。放任するのではなく一緒に文章を考え、美しい言葉を探し、四季を感じる手紙を書いていきたい。今はまだひらがなを書いて喜んでいるだけであるが・・・。
さて、文章を書くのは嫌いな私だが、おしゃべりは大好きである。人に話を聞いてもらいたい。しかし面白くも何ともない話を黙って聞いてくれる人はそういない。聞いてもらうためには楽しかったり、興味を引くものであったり、役立つものであったり、とにかく何か惹きつけるものがないといけない。家と職場の往復の日々で、私がおしゃべりがする相手というのはほぼ職場の同僚に限られるわけだが、私が今一番しゃべりたい”子育て”のことを未婚の人、子供がいない人にしても迷惑でしかないだろう。パパ友なんてものはいないし・・・。そこで思い立ったのがブログに書くことであった。
ブログを書き出した理由は大きく3つ。
- 喋りたい。
- 子供の成長の記録を残したい。
- 教育にあたり、いろいろな先輩方のブログが参考になっている。もし自分の記録が役に立つのであれば、参考にして欲しい。
本当はもう1つ理由があるが、話が長くなるのでそれはまたの機会に。
さて、今週のお題「ブログ川柳」は久しぶりに小学校の国語の授業を思い出した。苦手だ・・・。こういうのは1つだけビシッと文頭に示すのが格好いいんだろうけど、無理。 3つ作ったので書いてみます。
匿名で 拍車がかかる 子煩悩
吐き出して 心すっきり ぼやき減る
書き続け 想いを載せる すべ磨く
これって川柳?あってる?