散髪。
娘と妻が美容院に出かけた。私は留守番。
4歳6ヶ月になる娘の初めての美容院。
自分の子供の頃の散髪でも思い出してみるか。
子供の頃、父が勤務する会社の社宅に住んでいた。
2戸が隣接した木造平屋であったが、古い田舎の企業であり土地もふんだんにあったからだろう、座敷に離れ、庭まで付いた結構な住居であった。
ただとにかく古かった。築何十年経っていたんだろう。
防音の観念などあるはずもなくお隣の夫婦喧嘩なんて筒抜けで、つまりうちの騒音もかなりの迷惑をかけていたことだろう。
お隣も含め近隣一帯はみな会社の関係者、知り合いばかりであった。
まだ時代はおおらかで、お隣近所気兼ねなく何でも言い合える間柄だったはず・・・など思っていたが、今考えると実際どうだったんだろう?
夫婦喧嘩が聞こえていた当時のお隣さんは、いまだに親交があるのでそんなに嫌われていた訳ではないと信じたい。
父の所属していた部署はとにかく飲み好きの集まりで、毎晩が飲み会であった。
平日の夜に父を見かけた記憶がほとんどない。
外で飲み歩く分には、昨日書いたように戸板に載せられて帰宅することさえなければ問題ないのだが、時に飲み仲間を引き連れて帰ってくることがあった。そうすると母は深夜に布団から起き出し、いそいそと酒肴の準備を整える。母の実家も来客が多く、そうしたことには慣れていたそうだ。ただし、訪れてくれる方の筋が全く違う。
母の実家を訪れるお客さんたちは、祖父の仕事の関係上どちらかというと上品な方ばかり。一方父が連れてくる面々と言えば、酒を飲むと羽目を外して大騒ぎ。
朧げながら酔った大人たちが座敷の渡り廊下にずらりと並び、旧制七校出身の上司の指導でもあったのだろう、“チェストー!”とかなんとか叫んで芸をしていた姿を憶えている。近所迷惑も甚だしかったことだろう。
広いけど古いその家は、雨漏りするのも当たり前で、雨の日は洗面器や金だらいが必需品であった。翌日には営繕さんが修理してくれるのだが、またすぐに違うところが漏れてくる。飲み過ぎて戸板で担ぎ込まれ、座敷に寝かされた父親が洗面器にげーげー吐いているそばで、コツン、コツンと雨漏りを受ける金だらい、そのそばに正座して控えている私。結構シュールな絵だったな。
話がそれた。床屋の話。その社宅の一角に床屋があった。
社宅に住む大人も子供も、男はみんなそこで散髪する。
床屋さん独特の匂いを嗅ぎ、シェービングクリームで顔を剃られるとなんだか大人になったような気がした。子供はそこで散髪をするとお小遣いを50円もらえるのだが、これまた社宅に存在した駄菓子屋でお菓子を買って帰るのが楽しみであった。何歳ぐらいからそこに通ってたのかな?
小さい頃は自宅で新聞紙の上に座らされ、母親に切ってもらっていた覚えがある。中学生になると坊主だったので、これまた自宅でバリカンで切ってもらっていた。
ということは床屋に通ったのは小学生の間だけだったのかな?思い出せん。
最近、向田邦子さんの“父の詫び状”を読んでから、全盛期の父(なぜか仕事のではなく呑みごとの全盛期、ちなみにまだ健在)のことをよく思い出すようになった。
そのせいか昨日から文章を書こうとするとそっちに話がそれてしまう。
下の写真はこの歳になってなお、丼物にうどんをセットで注文する父の近影。
さあ、娘はいったいどんな髪型で帰ってくるんだろう?
そしてどんな思い出が作られていくのかな?